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ホーム - ニュース一覧 - #34出岐奏選手 現役引退会見のご報告

お知らせ

NEWS
2017/04/06

#34出岐奏選手 現役引退会見のご報告

いつも新潟アルビレックスBBラビッツへ温かいご声援をいただき誠にありがとうございます。
さて、4月6日(木)新潟市内にて「#34出岐奏選手 現役引退会見」を行いましたのでご報告いたします。

#34出岐 奏選手 現役引退会見のご報告

■日時:2017年4月6日(木)11:00~
■会場:ホテル イタリア軒
■出席者:新潟アルビレックスBBラビッツ #34 出岐 奏選手
     一般社団法人新潟アルビレックス女子バスケットボールクラブ 代表理事 小菅 学

#34 出岐奏選手 挨拶

この度、新潟アルビレックスBBラビッツを退団し、現役を引退することにいたしました。
チーム発足から皆様の温かい声援に支えられて、ここまでプレーできたことに感謝しています。
本当にありがとうございました。
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以下質疑応答

現役引退を決めた理由は?

誰にでもいつか終わりはきますが、それが自分の中で「今」だったのかなと思いました。前々から「今年で引退をしよう」と思っていたわけではないですが、ふとそう考えました。
一度そう決めたからには、今度はそれを選んだことが良かったと思えるように過ごしていかなければいけないので、「引退」を決めてからはもう引退なんだと。「何がどうだから引退」という明確な理由はあまり。

2度目の球団との面談の中で引退の意思を伝えたと聞きましたが、引退を決めた時の心境はいかがでしたか?

パッと(引退が)頭に浮かびました。
揺るがないというか、自分の性格上、一度決めたからにはそれを貫き通そうという思いがあったので、突拍子もなく思いついたことであったとしても、それにはそう思わせるだけの何かが自分の中であったんだと思って、その時の感情は1つの自分の感情として大事にしたいと思いました。

「引退」という文字が浮かんだのはどのくらいのタイミングでしたか?

シーズン中はそこまで「辞める」「辞めない」という考えには至らなかったですが、1人でぼーっとしている時に「あー辞めよう」という感じになり、本当に急にでした。

(上の質問に続けて)それではシーズンが終わってからということでしょうか?

そうですね。シーズン中は目の前の試合にだけ集中していたので。
「引退」という言葉を口にするとは自分でも思っていなかったです。

今シーズンプレーをする中で、自分の中ではまだまだ現役でできるという手ごたえはありましたか?
それとも自分の変化を感じていたのでしょうか?

変化は年々感じていました。まだバスケットが好きという気持ちは変わりないし、上手くなりたいという思いもある中、やはり心と体がうまくマッチしないところもありました。
自分としては動けると思っても、周りの人は「もう動けないじゃん」と思うかもしれないということも考えました。

現段階でやり切ったという感じが強うでしょうか?
それとも悔いが残っているという感じが強いでしょうか?

今シーズンの結果に決して満足しているわけではないですし、新しい戦力が加わって、新しいシーズンどんなチームになるのかと思ったりもします。
でも、どちらの道を選んでも必ず少しは後悔があると思うので、その後悔をずっと引きずるのではなく、これからこの道を選んで良かったって思えるようにしっかりと1人の人間として、ここで培ったものを活かして生きていきたいと思います。

引退を決意される中で、相談した方や報告した方は?
また、チームメイトにはどのように伝え、どんな反応がありましたか?

基本的に私の性格上、あまり多くの人に相談はしないので、数人の先輩や友達にだけ。相談といっても8割くらい自分の中で決めた上で、意見を聞きました。いろんな言葉をもらい、それを全て受け止めた上で今回の決断をしました。
チームメイトには、今オフシーズンで直接会う機会がないのでほとんど言わずに、サプライズ引退みたいにして、「ビックリした」というような連絡をもらいました。

(小菅代表へ)
球団から見た出岐選手の功績に対しての評価、また今後(「34」番を永久欠番にする等)の球団としての対応は?

出岐選手とは3月23日に面談を行い、その席で彼女から予想もしない一言をいただきました。我々球団としても、出岐選手が覚悟を込めて言った言葉を重く受け止め、一言「お疲れ様」という言葉を伝えました。
このチームができて6年間、日本航空様から譲渡され、1年目わずか8人でスタートしたチームで、当時から出岐選手は中心選手として、チームにとってなくてはならない存在でした。当然6年間同じ状況は変わらず、まさに新潟の顔として活躍してくださっていました。
非常にバスケットIQの高い選手で、一見すると人とプレースタイルの違う部分があるが、それにはしっかりとした考えがあって、かつシュートを決めきる力、これはリーグでもトップクラスの力だったと思います。
また、2016年に行われたWJBLオールスターゲームでMVPを獲れるような選手ですので、本当にまだまだプレーできるのではないかという思いは私にもあります。ただ、本人が自分の中で決めた事を球団としても第一義として考えた次第です。
まだあまり時間が経っていないので、ユニフォームの番号等については今後しっかりと検討していきたいと思っています。

今後について何か考えていますか?

今後は未定です。

指導者など、これからもバスケットボールに関わりたいという思いはありますか?

引退をすると決めてから今日まであっという間で、まだ自分の今後をゆっくりと考えている余裕がなかったです。
バスケットは好きで、そしてバスケットしかやってこなかったので、自分にできることを考えたときにやはりバスケット関係になるかもしれないですが、それはまだわからないです。

今後また現役に復帰するという可能性はありますか?

ないですね。
違う形でバスケットにということはもしかしたらあるかもしれないですが、現役のバスケットボール選手としては、1つ終わりで締めた方がかっこいいかと思うので。

(小菅代表へ)
出岐選手に新潟に残ってもらって、球団として何かしてほしいというリクエストはありますか?

これまでずっとチームの中心選手として、バスケットの試合に出る時間、バスケットを考える時間、バスケットに費やす時間等、他のどの選手にも負けないくらい長い時間を使ってくれたと思います。それは、体の面はもちろん、心でも頭でもそうだと思います。
そうした時にふと「引退」が頭をよぎったということは、どこかで少しゆっくりしたい部分もあろうかと思います。
ですので、今のところはまだ何かあると決まっていることはありません。

新潟での思い出・印象に残っていることは?

新潟に6年いましたが、今振り返ってみても本当にあっという間で、まだ2年目くらいじゃないかと思えるくらい早く感じていて、それだけ毎日が充実していました。思い返せば全て、毎日、1分1分が思い出だったと思います。

昨年(2016年)のオールスターゲームでMVPを獲った時の気持ちを改めて教えていただけますか?

いつも敵として戦っている選手たちと試合ができて、リーグ戦とは一味違ったバスケットの楽しみ方を感じることができたし、たくさんのお客さんが集まってくれた試合でした。あの試合は、本当に「バスケットって楽しいな」と思えて、すごく思い出に残っている試合です。
結果としてMVPを獲らせていただきましたが、チームメイトがパスを出してくれて、スクリーンをかけてくれて、周りの人のおかげで獲らせてもらった賞だと思っています。

新潟在籍中に印象に残っている試合は?

パッと思い浮かぶのは、1年目の8人で延長戦まで戦った三菱電機戦です。
8人で戦うことに周囲からは「1勝もできないだろう」等の声があった中、「何とか勝ちたい」という思いだけを胸に全員で戦って、三菱電機を相手に8人で競り勝てたことがすごく印象に残っています。
やってみないと絶対負けるなんてわからないし、実際に勝てたので、やってやれないことはないと証明できた試合だと思います。

何かしたいことはありますか?

私は練習は嫌いですが、練習を休むことはもっと嫌いでした。バスケットが好きだし、練習をしないと勝てないので、今までどうしようもない時以外は練習を休まなかったのですが、そのために、お盆のお墓参り等をできていませんでした。
これまでバスケットができたのは、家族の支えがあって、周りの方の支えがあってのことだと思うのですが、まだ引退の報告もできていないので、まずはその報告をしたいです。

来シーズン以降、出岐選手がいなくなった後のラビッツに期待すること、こんなチームになってほしいということはありますか?

何もなかった1年目からしたら、少しずつ私たち「ラビッツ」っていう名前を知ってくれる方も増えて、応援してくれる方もすごく増えたと思います。一生懸命プレーする姿で人に何かを伝えられることってあると思うので、コートに出る以上そこは絶やさずにやっていってもらいたいです。

8年間の現役生活振り返って、どんなバスケットボール人生でしたか?

私は、高校も大学もそんなに有名なところではないのに、日本航空さんが声を掛けてくださって、このWリーグという世界に飛び込みました。
しかし、そこが2年で廃部になり新潟に譲渡され、こうやってバスケットができるのは、たくさんの人に支えられているからできていることを知りました。
日本航空時代はあまり地域の人との関わりがなかったですが、新潟に来て、周りの人がいなかったら成り立たないことをすごく実感し、そこからは感謝の気持ちだけは持ち続けて、精一杯の感謝を込めて練習や試合をやってきました。

最後に改めてブースターの皆さんにメッセージを。

日本航空時代から含めた8年間、そんなに大きな怪我もなくベストパフォーマンスを見せることができたのは、周りの応援して下さる方々のおかげだと思っているので、本当に感謝しかありません。今まで熱く温かい応援ありがとうございました。

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